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五月雨の記憶は、死生観を描いた作品です。

自殺しようとした男性が、あの世とこの世の堺である橋で

少女と出会い、会話をして自分の生き死にを決めるお話です。

この作品には、生きること死ぬことに対するメッセージが

多く盛り込まれています。

生きることは大変です。

思うようにいかないこと、優しくない人、悪い環境など

自殺を決意させるほどのことが、たくさんあります。

ですが、少女のメッセージを受けて、

私はもっと気楽に生きてみようと思いました。

きっと、主人公の男性も「生きるエンド」で思ったことでしょう。

「生きるエンド」の現実世界では、少女は最後亡くなってしまいます。

「自分の分まで生きて欲しい」それが、彼女が伝えたかったメッセージなのは

言うまでもありません。

この世には、生きたくても生きられない人が多くいます。

だからこそ、その人たちの分まで精一杯生きるべき。

自分から、人生を放棄しないで欲しい。

なぜなら、生きたいと願えば生きることができるのだから。

そんなメッセージが込められていると思いました。

一方、「死ぬエンド」を選ぶと、一瞬少女は悲しそうな表情を浮かべます。

ですが、それでも選択を受け入れます。

「自殺する人間は、死にたいほど苦しんだのだから、受け入れてあげるべき」

そんな、生と反対の気持ちが少女にあったのかもしれません。

生きるエンド後のタイトル画面は晴れます。

陰鬱な雨でも必ず止むように、嫌なことにも必ず終わりが来る。

そんなことを表しているのかもしれません

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